毎年8月31日は,Malaysiaの独立記念日(Hari Merdeka)です.
数日前から街中,Malaysiaの国旗が家の窓,車,道路などあらゆる場所に掛けられお祝いmood一色です.
例年であれば,各地で大規模eventが開催されますが,2020年は新型肺炎の感染対策のために,大規模な活動は自粛するように政府の指示が出ています.
例年とはちょっと違う静かな独立記念日の様子と,独立広場周辺の散歩道を紹介します.
Malaysia独立までの歴史
Malaysiaの歴史については,ダイヤモンド社出版『地球の歩き方 マレーシア・ブルネイ』を参考にしてまとめています.
Malay半島は,India洋と南シナ海を結ぶ地理的な優位性から古くから貿易で栄えていました.
Malaysiaの国教Isram教も,ペルシア,アラブ,インドから来たIsram教徒貿易商がMalaysiaに伝来したものです.
Malaysiaの歴史は貿易によって栄え,貿易によって占領される歴史を辿ることになります.
1511年,香辛料を獲得する目的でポルトガルがMerakaを占領します.
PortgualがMelakaを占領した後,1545年に日本史でも有名なFrancisco de Xavier(フランシスコ・ザビエル)がMelakaに布教活動で訪れています.
MerakaにはSt. Paul教会跡があり,Xavierの石像が立っています.Xavierは死後,この教会で9ヶ月安置されてGoa(Indiaの州)に運ばれます.
教会のある丘に立ちMalacca海峡を望むと,当時の航海時代に思いがはせます.
1641年には,オランダがポルトガルを駆逐して占領権を奪取します.
1786年以降,英国東インド会社がMalaysiaのKedah州王からPenang島を割譲されてMalay半島の植民地化を進めていくことになります.
150年ほど英国植民地時代が続いた後,第2次世界大戦が開戦します.
1941年の太平洋戦争開幕とともに,日本軍はKota Bahruに進行.1942年にはKuala Lumpur,Singaporeを占領していきます.
日本が終戦宣言をすると,Malaysia半島は再び英国植民地になります.
民族意識の高まりに応えて,植民地支配国である英国の容認のもと,1948年にMalaya連邦が発足します.
さらに高まる民族主義朝流の中,Rahman初代首相は英国と交渉を行い,1957年8月31日にMalaya連邦は英国植民地から独立を果たします.
この時点では,まだMalaya連邦であって,いまあるMalaysiaとは違います.Malaya連邦には(現在の呼称で)Sabah州,Sarawak州が含まれていません.
1957年のMalaya連邦独立は,Malaya連邦の英国植民地からの独立であって,Malaysia国家の独立ではないことが,現在でも一部の東Malaysia人にとって独立記念日に対する違和感を生んでいます.
したがって,東Malaysiaの人にとっては毎年8月15日の独立記念日は関係ないよという違和感を持つ人もいるようです.
ポイント
1963年9月16日にMalaysia連邦国家が樹立します.
Malaysia連邦はMalaya連邦の既存の州に加えて,次の3州が加わります.
- Sabah州
- Sarawak州
- Singapore州
毎年9月16日は『Malaysia Day(Hari Malaysia)』という祝日で建国をお祝いします.
一年の中に独立記念日と建国記念日の別の祝日があることになり,日本人からすると少し不思議な感じするのではないでしょうか.
Malaysiaは,Malay系(Bumiputera)を優先する政策を推し進めたために,華僑の国民はMalaysia政府に反発をします.結果的に,1965年8月9日,SingaporeはMalaysiaから独立して一つの国とな入ります.
SingaporeはMalaysiaと地理的には隣接しているにもかかわらず,Singaporeの華僑国民の割合が75%と高いことはこのような独立の背景があります.
毎年8月9日は,Singaporeの独立記念日となっています.
Merdeka(独立)広場で歴史を感じる
Kuala Lumpurの中心部にMerdeka広場という名前の,8.2haの芝生が整備された広場があります.
Merdekaとは,Malay語で「独立」.
Merdeka広場は,正しく「独立広場」という名称です.
英国植民地時代,1884年に紳士の社交場「Royal Selangor Club」が造られ,広場はcricket競技場として整備されました.
初代首相Rahmanが独立を宣言する8月30日深夜,日付がまさに変わろうとするときに,大衆の前でRoyal Selangor Clubの広場にあった掲揚塔から英国国旗を下ろされて,代わりにMalaya連邦の旗が歴史上初めて掲げられました.
まさしく,英国植民からの独立と,Malaya連邦の樹立を象徴する出来事です.
国旗掲揚塔は高さ96mで,建物25階建くらいの迫力があります.真下から旗を見上げるのに首が痛くなります.
独立の象徴的な場所として,Royal Selangor Clubの広場は1989年に「Merdeka広場」と改名されます.
毎年8月31日の独立記念日は,Merdeka広場で大規模なeventが行われますが,2020年は新型肺炎拡大防止のために活動は自粛されています.
Merdeka広場と旧連邦事務局ビルの間の通りも,普段の休日と同じくらいの人しか訪れていませんでした.
炎天下の中,はためく旗が風に吹かれて気持ち良さそうな音が聞こえてきます.
来年2021年以降は,みんなで盛大に独立を祝えるようになるといいですね.
Merdeka広場周辺の散歩道
Merdeka広場周辺は,Kuala Lumpur観光の目玉でもあります.
観光地が徒歩圏内にまとまっていますので,2-3時間で周辺を訪れることができます.
Sultan Abdul Samad Building(旧連邦事務局ビル)
Merdeka広場の向かいにある英国Victoria式建築物です.旧連邦事務局として使われていましたが,現在は最高裁判所となっているそうです.
国立織物博物館
Malaysiaの民族衣装を展示している博物館です.外観が赤レンガと白い石膏の縞模様で,おしゃれなな設計になっています.
私は何度も前を通りかかっているのですが,まだ中に入ったことがありません…
国立mosque(Majid Negara)
Majid Jamek駅のすぐ近くにある,白を基調としたmosqueです.
入場は無料ですが,祈祷の時間は観光客の入場が制限されます.
一般にmosque入場に際して,女性は肌を隠すように注意を受けます.もし,羽織る衣服がない場合は,入り口でrobeを貸し出してくれます.男性も短パンは注意を受けるので,できれば足首まで隠れるズボンを履くか,当日robeを入り口で借りましょう.
River of Life
首都名のKuala Lumpurは,元々Malay語で「泥川の合流地」という意味です.
Masjid Jamekの横で2つの川が合流しています.Klang川とGombak川です.
かつてスズなどの鉱山を川で洗っていたため川が濁っていました.2つの泥川が交わる場所.それこそが,Kuala Lumpurなのです.
110kmの旅をして,川の水はMalacca海峡に到達します.
夜は,照明と噴水による神秘的なshowが行われています.
注意ポイント
昼間は特に問題はないのですが,周辺は外国人労働者が多く,夜間は安全にご注意ください.治安が悪いと聞いたことはないのですが,念のため夜の一人歩き等は避けたほうが良いです.
Merdeka広場への行き方
車で行かれる方は,短期間であればMerdeka広場近くに路上駐車することができます.
公共機関でいかれる方は,AGL線,SPL線,KJL線のMajid Jamek駅で下車ください.駅からMerdeka広場まで徒歩10分(600m)です.
住所 Jalan Raja, City Centre, 50050 Kuala Lumpur, Wilayah Persekutuan Kuala Lumpur
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